「逃げていい」~シェルターへの思い~
母が亡くなって、二十年が経つ。
漁村の小さなお寺に嫁ぎ、気丈で働き者だった母は、悩みや愚痴をこぼせる人も場所もなく、父の傲慢さを語ることもないまま、我慢の人生を歩んだように思う。私は幼いころから、母には逃げ場がないことに気づいていた。
遠くの実家に帰れるわけでもなく、ましてや、たくさんの子どもを抱えての家出は不可能だった。そんな状況は、私の暮らす小さな漁村の女性たちも同じで、暴力に耐えかねて裸足でお寺に逃げてくる姿も見てきた。
幼い私は、母の我慢に苛立ち、不甲斐なさを感じ、気づけば父と同じように、怒りや情けなさを母にぶつけてしまっていた。そんな両親の元から早く独立したいと、私は故郷を離れた。
その後、私自身も女性であることの不条理や生きづらさを感じるなかで、フェミニズムに出会い、救われた。女性の苦しさは、個人の問題ではなく、この社会の構造的な苦しさなのだと知った。
今ならはっきり言える。父の言葉が母を縛っていたことも、財布を握らせてもらえなかったことも、怒鳴り声が響く夜の空気も、それは精神的な暴力であり、経済的な暴力だった。でも、当時の社会には「DV」という言葉も、配偶者暴力支援センターという仕組みもなかった。
警察に助けを求めるという選択肢も、周囲に相談するという道も、母にはなかった。「我慢すること」「家族を壊さないこと」が、何よりも優先された時代だった。
母や多くの女性たちには、逃げ場所がなかった。ただ、一人で泣くしかなかった。私は、そんな母を、そしてあの頃、裸足で逃げてきた女性たちを忘れない。
一晩だけでも静かに心を休める場所があったなら。誰にも邪魔されずに、本音を話せる相手がいたなら。その思いは今も私の中にある。「制度」や「仕組み」からこぼれ落ちる人たちのために。制度があっても、その窓口にたどり着けない人たちのために。「逃げたいけれど、どこへ行けばいいかわからない」女性たちのために。相談できる場所がほしい。プチ家出でもいい。ただ誰かに「つらかった」と言えるだけで、心が動き出す。そんな小さな一歩を、安心して受けとめられる場所がほしかった。
私たちの民間シェルターには、制度ではすくいきれない「声なき声」が集まってくる。家庭、恋人、職場、地域とさまざまな場所と関係で傷ついた女性たちが、ふっと肩の力を抜いて「ここに来てよかった」とポロっとつぶやくたびに、私は母の顔を思い出す。
2024年4月、「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」が施行された。多くの女性たちの訴えが、社会を動かし、ようやく制度が現実に追いついてきた。
全国の公的シェルターや民間シェルターが、誰かの「再出発」の扉であるように。
「逃げていい」。そう思える新たな場所と関係をつくりつづける。
佐々木妙月


